Top Bunner

Jonn (Vocal):1968年9月17日生まれ

Rat (Guitar):1970年11月8日生まれ

Mat (Bass #1):1970年11月28日生まれ

Alex (Bass #2):1971年8月29日生まれ

Dan (Drums, Percussion):1972年7月28日生まれ

 1990年に入り、バンドにビッグチャンスが舞い込む。同じ町のバンド "Pop Will Eat Itslelf" が自分達のイギリス・ツアーのサポートをしないかと、無名のネッズに声をかけてきた。それまで小さいライブハウスで演奏していた彼等は、この誘いに大喜びでこの誘いを受ける。このツアーがきっかけとなり、 "Mega City Four" "The Wonder Stuff" "Jesus Jones"等大物のサポートを勤める。しかし、いくらサポートをつとめても金銭的に苦しいのは変わらない。そこへ、マネージャーのタンクが元Tシャツ屋の経験を生かしネッズのファンにはマストアイテムとなるバンドのロゴ入りTシャツを売ることになる。ツアーごとにデザインをかえる等、会場でしか入手できないこのTシャツをメンバー自ら売る等、この企画が大成功。このことが噂を呼び NME等の音楽雑誌に注目される。そしてこの年の5月、地元バーミンガムのインディー・レーベルの "Chapter 22"と契約。ファーストシングル "The Ingredients ep"をリリース。この4曲入りのシングルが NME等のシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれ、このシングルがインディー・チャートのベストテンに入り、好スタートをきる。それから2か月後の7月にセカンド・シングル "Kill Your Television"をリリース。このシングルがインディー・チャート1位に輝く。この曲は彼等の代表作になる。そしてこの2枚のシングルをきっかけにイギリス・ツアーを行う。そして8月にはレディング・フェスティバルにも出演。もちろん会場でもTシャツが売られ人気を集める。そして、10月にはサード・シングル "Until You Find Out" をリリース。このシングルもインディーチャート1位(ナショナル・チャート52位)に輝き、人気も不動のものとなる。そして、イギリス全土を回るツアーを12月まで行う。

 1991年、この人気に目を付けたメジャー・レーベルの "Sony Music"と契約。ソニーは彼等のためのレーベル "Furtive" を用意。しかし目を付けたのはソニーだけではなかった。今まで在籍した "Chapter 22"が今までの2枚のシングルと未発表の2曲を集めた10曲入りで "Bite" としてリリース。しかし、このことに対してバンドが抗議、この "Bite" にはバンドがボツにした未発表 ("She's Gone" & "The Old New 'Un") の2曲が入っていたため。でも、この "Bite" イギリスのNMEインディー・チャート(91年2月23日付)で1位に輝く。2月にはメジャー移籍後初となるシングル "Happy" をリリース。この通算4枚目のシングルはナショナル・チャートで16位に入る。このシングルをリリースした彼等は "Happy Tour" として全英ツアーを開始。そして、3月9日付の "Sounds" 3月28日付の "Rage" 3月30日付の "NME"の表紙を立続けに飾る。そして、4月1日にファースト・アルバム "God Fodder" をリリース。このアルバムは全英のナショナル・チャート3位に輝く。このアルバムリリース後、またツアーを開始。しかし最終日、事件が発生。この最終日は追加公演でバンドもこの1日のためのTシャツを用意。しかし会場がTシャツの人気に目を付け売り上げの40%を支払えといってきたのだ。この事にバンドは怒り、販売を中止。なんと、ステージからこのTシャツを投げ入れる。5月にはファーストビデオ "Nothing is Cool"をリリース(日本ではビデオの他にレーザーディスクも発売)。このビデオがナショナル・チャート1位に。7月にはアメリカ・ツアーを開始。アメリカでも CMJ チャートで "Happy"が3位に入り人気を集める。8月には初の来日公演。メンバーは来日前に他のバンド等から日本人は静かだと聞いていて盛り上がるか不安だったが、始まればモッシュ、ダイブの大盛り上がりでメンバーの不安も消え去る。また、会場で売られたカタカナTシャツも人気を集め、もちろん売り切れ。このライブは8月24日付の NME で取り上げられ、表紙も飾る。メンバーも公演後イギリスへ戻り、すぐにレディング・フェスティバルへ出演(トリの前で)。9月にはバンド5枚目のシングル、"Trust" を発売(アルバム未収録)。

 1992年に入り2月、真夏のオーストラリアでツアーを開始(全7公演)。そしてオーストラリア・ツアー後、日本へ再来日。この来日を記念して、今まで出したシングルのB面を集めたコンピ "And Besides..." として日本限定で発売。このツアーの最終日(東京)、2月22日にアンコールでマットがボーカル、ダンとジョンがベース、アレックスがギター、ラットがドラムと楽器を持ち替えブラック・サバスの曲を演奏。大いに盛り上がる。日本から戻ったバンドはニューアルバム製作に入る。アルバムの製作が進む中、6月グラストンバリー・フェスティバルのトリ前として出演。その後もヨーロッパ各地のフェスに出演。7月に入り、バンドは "Sonic Youth" や "Nirvana" 等のプロデューサーとして知られる、アンディー・ウォレスを招き録音が開始される。そして、8月30日の早朝、全ての録音作業が終了。9月にはニューアルバムからのシングル "Not Sleeping Around" を発売。そして、10月29日、待ちに待ったニューアルバム "Are You Normal" をリリース。このアルバムをリリース後、まずは、.アメリカでツアーを11月中旬まで行い、その後、イギリスへ戻ったネッズは、全英ツアーを開始。この全英ツアーは12月下旬まで行う。そして同じ12月、ニューアルバムからの二枚目のシングル "Intact" をリリース。こうして、1992年が終わる。

 1993年、1月上旬からアメリカツアーをスタート。このアメリカツアーは全32公演で、2月下旬まで続く。3月にはオーストラリア・ツアー。3月下旬、3度目の来日。東京、大阪、福岡の3都市を回る。日本から帰ったネッズは、休む間もなく今度はヨーロッパの各都市をを回る、ヨーロッパ・ツアーをスタート。このツアーは5月まで行われる。6月から8月まで色々なフェスティバルへ参加。そして、9月に映画 "So I Married an Murderer"(邦題:ハネムーンは命がけ)にベイ・シティー・ローラーの代表曲 "Saturday Night"をカバーし曲を提供、シングルとしても発売。12月から全英・ツアーをスタート。12月下旬まで行う。

 1994年、2本目のビデオとなる "Lunatic Magnets"を発売。その後、目立った活動もなく進む(新曲を作くりは進行)。11月シングルのB面等を集めたコンピ "0.522" をリリース。このリリース後、0.522 ツアーをスタート、イギリス各地を回る。

 1995年、始めに3枚目のアルバム "Brainbloodvolume" をアメリカ先行で発売。この発売とともにアメリカでプロモーション活動を行う。再度5月上旬にアメリカでツアーを開始。6月中旬まで行い、いったん帰国。その後7月中旬に再々渡米で8月中旬まで全米を回り、アメリカに売る込みをかけるが、8月19日のニューヨーク公演がネッズにとって最後のステージとなる。そしてバンドも解散する。

 2000年、2月28日 "Best of Ned's Atomic Dustbin" というベスト盤を発売。7月、JB's Dudley の30周年記念イベントで復活。7月29日、同ライブハウスで一夜限りのステージを行う。しかし、このライブにギターのラット、ベースのマットは参加せず。この公演は "No More One More" として 2001年9月にCD で発売。

 2001年、8月26日ノッティンガムで行われた "The Longest Day"フェスティバルへ参加。9月14日にはニューヨークでも演奏。9月10日には、2000年7月29日に行われたライブを CD で発売。9月21日から23日の3日間 JB's Dudley でライブ。9月29日にはロンドンのアストリアで演奏。

 2003年2月から3月、2001年で収録したライブを DVD で発売予定。4月 CD 2枚組でベスト盤を発売予定。


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